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《 独断と偏見の世界 》⑤ ~ 時代が違う、だから? ~

 私は現在、大野城市にもう15年近く在住しています。その前の30数年間は、筑紫野市に住んでいました。そして、我が城である塾は、春日市の南の方に位置しています。つまり私は上述した3市、いわゆる旧筑紫郡に関与しながら生活をしていることになります。

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小さい頃(30数年前)は、ここ春日南地区および大野城市の南地区つまり牛頸(うしくび)周辺は、山や雑木林がたくさんあり、カブトやクワガタなどの昆虫を採りに来ていました。
 しかし、その頃は筑紫野の家から非常に遠く感じました。それはもう一種の「日帰り旅行」のようなものでした。

 そして、そのような採集旅行の際の天敵はマムシとスズメ蜂

 とにかく、怖かったことしか記憶にありません。

 では、なぜ採りに行っていたのか?

 何故でしょう? 本当のことはわかりませんね。

 おそらく、危険を冒してでもそれだけ、人よりも大きくてカッコイイ甲虫やクワガタが欲しかったのでしょう。が、そういう「欲求」と隣り合わせにマムシやスズメ蜂などの「恐怖」が存在していました。その状況でゲットできたときは、それはまるで「戦利品」のようなものであり、そういう一連の行為で、言い換えれば「ゲーム感覚」みたいなものを感じ取っていたのかもしれません。

 その頃の子どもたちに、Gパンなんて今のように普及していなかったので、ほとんどの子が半ズボン。(最近、あまり見ませんね、幼児しか、、、。)だから、雑木林や森に入れば、太ももや足に傷ばかりを負います。たまにこけて、大きくて深い傷を負ったりしていました。

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 また、冬になると、コマで遊んだり、牛乳のふたを集めに森永や永利牛乳工場に行ったりしていました。時には、稲を刈り取られた田んぼで、野球をしたりバック転の練習で鞭打ち症になったり、そして極めつけは、天拝山にある防空壕を「秘密基地」にして遊んだりしました。

思い出してみれば、子ども時代はすべてアウトドアで遊んでいたことになり、しかも今の子と比較すれば、薄着の格好(中には、オールシーズン、半そで半ズボンの奴がけっこういました)だった気がします。

 今と比較すれば、「時代や環境がちがう」と言われれば、そうでしょうね。
 
 というのは、典型的な昭和時代でしたから。

 しかし、なんかそういう時代って、乱暴で非能率的かもしれませんが、

「たくましさ」「破天荒さ」「忍耐強さ」「礼儀正しさ」
               
                =「質実剛健」だけど「大雑把」
                         
                           などのワードが感じられます。

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 今の時代が子どもたちにとって、良いのか悪いのか分りませんが、我が家の子どもたちは、昭和時代の環境で育てたかったと思っています。まあ、無理な話ですが、、、。

残念ながら、今の子どもたちはそんなことしないし、またそんな環境はほとんど無くなってしまいました。だから、私は少なくとも学習を通して、少々の傷を足に負ったとしても気にさせずに前へ前へ進ませながら、

     「心身ともにたくましい子どもを育てていきたい」               と、感じています。


「そんな傷は気にするな!次があるから、もっとがんばれ!」

「ちょっと、挨拶になってないぞ。きちんとしろ!」

「そんなに休みなく勉強すると、脳がバカになる!次の日曜は遊んで来い!」

「そんなに勉強しなかったら、脳がバカになる!だから早く勉強モードになれろ!」

 

 あ~もこの際、昭和っぽい塾にするか!
 
 
 「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい。あすなろ伸学舎!」

      
         となると、勉強しない塾になってしまうか、、、。

 まあ、それは行き過ぎますね。やめておきましょう。

                以上

by akashi-asunaro | 2011-09-22 18:14 | 思い出