2015年 02月 25日
《 自我の目覚め 》①〔哲学で〕宇宙に存在する他のすべてから特立する存在として認めた自分。
②社会の一員として、なんらかの役割・責任を負わされた存在として意識された自分自身。
―新明解国語辞典第六版から引用
おそらく、「自我の目覚め」とは、自分自身の存在を認め、それを土台として、他者や物事に対して自分がどうあるべきか、またどうすべきか。ということを気付くことではないだろうか?このように、私は多分に思います。
一般的に、少年期によく使われる言葉でしょう。
私におけるこの言葉は、何も少年期だけではない!と、ずっと考えています。
だれにでも、普段に過ごしている時に、ふっと「あっ!このことか~!」なんて気付くことがよくあると思います。そんなことは、実は当たり前だったりして、、、。
また、自分の生活を振り返り、同じことを繰り返さない!と反省して、本当に繰り返さなくなる。
こんなことも、もしかしたら「自我の目覚め」なのかもしれません。
10代、20代、30代、、、、50代、60代、、、。
この言葉に、年齢は関係なく、環境やその状況によって、「自我の目覚め」が常に存在しているのではないでしょうか。
もしかしたら、「自我の目覚め」がLearn(学ぶ)やStudy(学習する)という意味に変化するかも、、、です。
もうすぐ、ほんの15才の少年たちにとって過酷な公立高校入試が実施されます。
そんな中、英語が分らない!と泣きながら訴えてきた中3の生徒たちが数人いました。
「一文一文、しっかり和訳をしなさい。単語を調べなさい。根気強く、粘って訳を作成しなさい!英語は国語ではない!英文を素直に訳をすればいい!それだけ!!!!!!」
こんなことを言って、勉強させました。また、やってきた和訳を見てあげました。
すると、どうでしょう!言ってきた誰もが何らかのプラスの効果が表れてきました。
つまり、英語における「自我の目覚め」ですわ。こうなると、自然にコツがわかってくると思います。
しかし、以前から彼女たちは、それをやっていたと推測していますが、
その「時」と「熱意」が、「自我の目覚め」を喚起させたのです。
大人でも仕事に対しては、同じようなことがいえるのではないでしょうか。
こういう「自我の目覚め」を促すためには、「師」の存在が必要不可欠です。
教育とはある意味、多面的に、たくさんの自我の目覚めをさせることかもしれません。
おそらく、
~ 能力が高い人、仕事ができる人 ~
こんな人たちは、多面的に並はずれた回数の自我の目覚めをしたことになるのではないでしょうか?
これから、私も多面的に多くの「自我の目覚め」を体・経験し、子ども教育に、私生活に、自分自身のためにも役に立たせたいと思います。
みんな、ガンバレ!
P.S 今回は、一瞬、こんなことを思い出しましたので、忘れないようにブログに記載いたしました。この内容は、賛否両論あるでしょうが、あくまで私の考えですので、ご了解くださいませ! 以上