10月14日                       
 私は貧乏性なのか、なかなかモノを簡単に捨てきれない。
目の前のモノが「いつか使うだろう?」とか「必要になったら?」などと頭をよぎってしまうと、とりあえず、ずっと取っておいてしまう。
しかし、「実は、そう思って残すモノこそ、いらないんだよ!」と、妻は私に苦言を呈す。

さて、学習塾にとって黒板・ホワイトボード、机・椅子、そして教室などは無くてはならないモノ。だが、何かそれだけでは、日頃からお世話になっている割には、「商売道具たち」に対して修飾語が足りず、申し訳ない気がする。

そう言えば、
◆私の家系は代々伝わる理髪店で、ハサミは命。いとこや叔父は大切に、しかも魂を込めるようにハサミを、毎日毎日研いでいた。もちろん、カッティングチェアーやマッサージチェアーなども一生懸命に磨いていたのを、幼いながらにも私はしっかりと覚えている。◆

だから、サービス業であるがゆえ当然かもしれないが、私も学習塾の「商売道具たち」に感謝しながら、毎日掃除している。

野球でたとえるなら、教室はグランドであり、机・椅子、黒板・ホワイトボードはベースやスコアーボード。こんなふうに考えると、彼らもきちんと子どもたちの学力向上に一役買っているんだな、と改めて痛感させられる。

しかし、「商売道具」だけに限らず、人は、自分自身のモノや他人のモノあるいは借りているモノを、もっと大切に使うべきではないだろうか。

というのも、(産業技術の急速な発展のおかげで、代替品が安価で買えるという理由で) 特に最近の子どもたちや若い者たちは、「モノに対するありがたみ」が薄れ、粗末しているのをよく目にするからである。

 ~昔は、鉛筆を短く削っていたものだった。
              指を切りそうになるくらいまで 。~

 
 私は、この「モノを大切にするこころ」を意識するだけで、人にとってプラス効果がたくさん出てくると考えている。

このことを意識してくれるだけで、
★掃除や整理整頓をきっとするようになり、浪費ぐせは確実に消失する。準備も以前に比べると早くなり、忘れ物は無くなるだろう。すると時間の使い方も上手くなるはずである。もちろん、学力向上や仕事の能率アップにもつながると思うのだが、、、。
あるいは
★もし、彼らが「モノに対するありがたみ」を思ってくれるようになれば、環境や人に対する「思いやり」まで意識するようになるだろう。そして、「いのちの大切さ」をも最終的にもっと抱いてくれるのではないか、と切に期待するのである。
 
 このように、モノを粗末にする子どもたちが増えてきている、と感じているのは私だけであろうか?
 
 ただし、私のように「モノを捨てきれない者」にならないようには、注意してほしいが、、、。
     
                                                           以上
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# by akashi-asunaro | 2009-10-14 00:23 | Comments(6)

はじめまして

 駆り立てられて、文を書くことはあまり好きではない。しかし、読んでくれる人がたった一人でもいてくれて、私という存在を思い出してくれるのなら、、、、そういう思いで、書くことを決めた。お堅いことや教育や経営する塾のことなどを書いていこうと考えている。私は器用ではないので、今回私のブログを立ち上げてくれた、ちくしの進学教室の代表である今井先生およびウエステージの西さんそして関係者にとても感謝している。ただ、私は常に「原点回帰」の考えなので、当たり前のことしか書けないし、おそらくこれから書いていくことは「ブログ」とは言えない代物だと思う。その点は了承してほしい。 

 《しかし、どういうものであれ、「1位」をとることはすばらしいと思う。》

 マラソンでたとえてみると、今、1位と2位が互いにゴールを目指して走
っている。
 
 2位走者は1位走者がペースメイカーになっているので、さほど難では
ないだろう。しかし1位走者を追う立場で走るわけだから、自分のペース
でないのが大変である。
 一方、1位走者はエネルギーの配分、勝負どころの見極めそしてなん
と言っても、前方には景色しかないことで孤独を感じ、そして後方を意識
する焦燥感をも味わうのである。非常に過酷な、筋書きのないドラマの
主人公を演じているわけである。
 このように1位を維持することは、非常に難儀なことであり、達成すれ
ばそれゆえ世間から評価を受けることになる。
 
 それでは、レース中で1位走者を追い越した2位走者の脳裏には何が
浮かぶか?

 追い抜いた瞬間!今まで目標としていたものは消失し、視界がわっと
広がる。その影響で多少なりとも不安感を抱き、先ほどの1位走者がや
ってきたことを、当たり前のようにやらなければならないことになる。
 
 このように考えると、ビール業界でのキリンとアサヒの話を思い出す。

◆アサヒは「絶対的1位のキリン」を抜くために考えた。10年後?にビー
ルを飲む世代の味覚を調査研究し、彼らの好みそうな味を開発した。そ
して「スーパードライ」が誕生し、1位の走者になった有名な話である。
(現在の順位は定かではないが。)◆
  
 
何もマラソンの1位走者にこだわらず、「目標を達成する」ということで
あれば、この筋書きのないマラソンの話には、ビジネスや学習などどう
いう状況にもあてはまると思う。

 目標を達成するために、人あるいは企業は、もがきにもがき続ける。
そして達成するといずれ不安定になる。それは、目標が消失し、経験したことがない立場や地位を維持することだけを考えるからである。          
 
夢や希望が叶うこと、あるいは目標を達成することは、簡単ではない。
それゆえ「夢・希望・目標」と人は言うのかもしれない。だからこそ、人は
叶うように、達成するように努力する。しかし、その後のことはあまり論じ
ようとしない。

 叶えて達成してもその後をどうやっていくか。これもまた非常に大切なことではなかろうか。 

結局、人生はマラソンのようなものであるが、ゴールが無いことは、い
ささか残酷ではないだろうか。笑ったり泣いたり。追い抜いたり、追い越
されたり。あるいは目標を達成したり、しなかったりで。

 人生は、まさに「無常そのもの」であり、安定など無いのである。
 だから、人生は全力疾走!けっして気を抜いてはいけないのである。
 しかし私は、もしかしたら、
     この「無常そのもの」を
          今年は特に感じている人間の1人なのかもしれない。
                           
                                     以上
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# by akashi-asunaro | 2009-07-11 11:19 | Comments(3)